大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和34年(オ)42号 判決 1960年3月17日

上告人 加藤タカ 外二名

被上告人 国 外二名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告人ら代理人弁護士秋根久太、同牧野内武人、同中村護、同荒井金雄、同安藤章、同鈴木栄二郎の上告理由第一点、第二点について。

しかし、原判決は、挙示の証拠に基き、本件各地の賃借当初から控訴人ら(上告人ら、原告ら)の所有権取得登記当時に至るまでの現況は、本件附属小学校において当初から農園管理者、農園担当官に管理せしめ、教官指導の下に同校児童をして麦、馬鈴薯、蔬菜類を栽培させ、また、果樹学習用作物を植栽し児童の労力不足のところは農場管理者をして耕作させ、もつて、現在に至るまで肥培管理して来た本各的な農地である旨認定し、なお、本件土地にある各施設建物も農園に附随した教室、農園管理者の宿舎、農具倉庫などであり、空地は児童の集合場所、通路等に使用され、使用目的並びに客観的使用状況において学校農園として不可分の一体を形成しているから、本件各筆の土地全部を学校農園に供されている農地と認定するに妨げない旨判示している。そして、その認定は挙示の証拠でこれを是認することができるのである(なお、挙示の証拠によれば、所論二二一番の二は、桃の果樹の外梨、栗が植えられ桃園には昭和二七年前後にはミツバが栽培されていた現況畑であり、同番の一二、一三の現況は、栗、柿等の植栽地であり、所論二一五番の二八は、旧時から存在する欅六本、檜三本のみの生立する非独立地で、現況は前面の同所二一九番の附属地か又は後部の二一五番の菜園の延長としての畑地と認められる)。そして、原判決の認定した事実関係の下において本件各筆の土地全部を農地と認めた原判決の判断もこれを正当として是認することができる。されば、原判決には所論の違法は認められない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判官 斉藤悠輔 入江俊郎 下飯坂潤夫 高木常七)

上告代理人秋根久太、同牧野内武人、同中村護、同荒井金雄、同安藤章、同鈴木栄二郎の上告理由

第一点(民事訟法第一九一条第三九五条第一項第六号)

原判決は理由不備の違法がある。

原判決は上告人等が代物弁済若しくは売買により本件各土地を取得したと主張する昭和二十七年及び二十八年当時の該土地が農地調整法ないし農地法にいう農地であるか否かについて。

乙第一号証の一、二、同第四号証、同第五号証の一、二、同第六号証の一ないし四、同第九号証、同第十一号証、同第十二号証の一ないし二〇、同第十三号証の一ないし一二、同第十四号証の一ないし六、同第十五号の一ないし一一、同第二十号証の一、二、原審証人荻須正義、同都築定治、当審証人荻須正義、同横木清太郎(第一、二回)、同貫井三郎の各証言並びに原審及び当審における検証(第一、二回)の結果を綜合すれば左の事実が認められとする。

即ち昭和十二年東京高等範師学校(現在国立東京教育大学)附属小学校が時の地主高橋文太郎から田園教場として本件各土地を一括賃借した時から上告人等が所有権取得登記を経由した時に至るまでの右各土地の現況は右期間中終戦前后から昭和二十一、二年にかけて一時児童の交通も不便であり二、三の要務員の労力では耕作も十分でなかったことはあつたけれど、右附属小学校においては、賃借当初から本件各土地を農園管理者農園担当教官に管理させその指導の下に、同校児童に麦、馬鈴薯、蔬菜類を栽培させ、また果樹学習用作物を植栽し児童の労力不足のところは農場管理者に耕作させ、以て現在に至るまで肥培管理してきた本格的な農園であると判示する。

しかしながら農地調整法ないし農地法にいう農地とは耕作の目的に供せられる土地をいい、耕作とは土地に労力を投入して耕転、播種施肥等の所謂肥培管理を行って作物を栽培することであり、こゝで作物とは通常果実葉茎などを採取して年々収獲をあげることを目的とする農業の対象として栽培される植物を指すものであって、通常林業の対象となる竹木を含まないと解されるし又土地の個数は法律上筆数によって定めるのであるから本件のように係争土地が数筆に亘るときは各筆毎に土地の現況を判断して農地であるか否かを決すべきである。

従って、本件各土地が農地調整法ないし農地法にいう農地であるか否かを判断するためには、肥培管理の有無と並んで各土地上に如何なる植物が植栽されているか、具体的にしかも各筆毎に認定摘示すべきであり、しかる后はじめて農地か否かを決し得るのである。

原判決は前示のように本件各土地を一括してその上のどの土地と確定することなく、麦、馬鈴薯、蔬菜類が栽培されている云々と摘示するのみであるし、原判決が各土地を農地であると認定した根拠として挙示する前掲各証拠のうちの原審証人横木清太郎(第一、二回)、同貫井三郎の各証言並びに原審及び当審(第一、二回)検証の結果によると、昭和二十七年及び二十八年当時本件土地の一部である東京都北多摩郡保谷町大字下保谷北新田二二一の一二(地目山林三畝二歩)及び同所同番の一三(地目山林一畝二二歩)の土地は栗林であり、同所同番の一一(地目山林一畝四歩)は竹林であり、同所二一五番の二八(地目宅地(二十坪)には欅等の大木が生育して地上には如何なる作物も植栽されていない事実がそれぞれ窺われるのに、原判決は前示のように本件各土地には果樹、学習用作物を植栽云々と抽象的に摘示しているのみで右栗林等存在の事実を排斥したのか、これを容認して果樹学習用作物とはこれを指すものか判然としないし又栗林、竹林等は通常林業の対象であるからその存在部分は農地でないのが原則であると考るえられところ、原判決は栗林・竹林等の存在部分も農地であると解したのか判然としない。

これは結局本件訴訟の重要な争点である本件各土地が農地か否かの点について、原判決の理由が不明瞭で判決が如何る事実上若しくは法律上の判断に基いたか判然としないから原判決は判決に理由を附さない違法があると謂うべきである。

第二点

原判決は法令の解釈を誤つて適用した違法がある。

原判決は本件各土地が農地であるか否かの点が問題となる昭和二十七年並びに二十八年当時の該土地の現況につき理由第一点で記述したとおり「麦、馬鈴薯、蔬菜類を栽培し果樹、学習用作物を植栽し児童の労力不足のところは農場管理者に耕作させている本格的農園である」と判示し、又本件土地のうち、(1) 北多摩郡保谷町大字下保谷字北新田二一五番の六(地目宅地二六一坪)には木造トタンセメント瓦交葺平家建家屋一棟建坪七十二坪二合五勺が(2) 同所二一五番の二七(地目宅地一七七坪)には木造トタン葺一部煉瓦造平家建小屋一棟建坪十八坪が、(3) 同所二一五番の四七(地目宅地一五一坪)には木造瓦葺平家建居宅一棟建坪十五坪が、(4) 同所二一五番の二九(地目宅地五九坪)及び四七に跨つて木造トタン葺平家建物置一棟建坪三坪が、(5) 同二一九番(地目宅地四九八坪)には木造トタン瓦交葺平家建家屋一棟建坪五十二坪二合五勺が、それぞれ築造され、又現実には耕作されていない空地(原判決はどの部分にどの位の空地があるのか全然摘示してない)も存在する事実を認定しながら、右各施設建物は農園に附随した教室、農園管理者の宿舎農具倉庫等であり、空地は児童の集合の場所通路等に使用されておって、いづれも田園教場には必要欠くべからざる施設であるから各建物の敷地ないし空地も現実に耕作の用に供されている部分と使用目的において不可分一体であり、たとえ直接耕作の対象となつていないとしても右敷地ないし空地を特に切り離して農地でないと認定すべきでないと判示している。

しかし農地調整法ないし農地法でいう農地とは耕作の直接の対象となる土地と解すべきであり、(このことは農法で農業上利用のため必要な附帯施設の買収を規定していること等から窺われる。)これ等法律は取引の自由に対して重大な制限を加えているものであるから農地の範囲は厳格に解釈されるべきであり濫りに拡張言れるべきでない。従つて通常耕作のため必要な施設である農具倉庫の敷地も当然には農地であるとは云えないし、まして原判決の如く田園教場には不可欠な施設だからと云って教育の効果を全うする見地から教室の敷地、宿舎の敷地ないし空地も農地であると認定するのは本件訴訟の結果の重大さを慮つて法を曲げて解釈適用した違法の謗りを免れない。

上告人等の主張は本件各土地が宅地ないし山林であって農地でないことを前提とし、該土地の所有権を有効に取得したとして被上告人等に所有権確認等を求めているのであるから右の法令違背は判決に影響を及ぼすこと明かである。以上

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